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ダイスン

Arsenalとその他もろもろ

心の声をどこまで説明するか、あるいはモノローグ考

マンガ アニメ

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いわゆるモノローグ表現について。

 

 

アニメ『3月のライオン』第14話は、二階堂の“兄者”こと島田八段との対戦回、敵の実力をあなどった零がプロ棋士として自らのナイーブさに悶絶するというエピソードで、その自己嫌悪の表現にいつにも増して零のモノローグが満載だった。

 


原作からしてモノローグが多いのでとくにアニメの演出というわけではないが、あらためてアニメで見させられると、説明説明&説明おれはこう思ったおれはこう思った&おれはこう思ったでちょっとうるさいくらいだった。零役の河西健吾氏はほとんどしゃべりっぱなしの収録だったろう。

この回を観て、マンガ原作に忠実であることは、情報量が多いアニメ化では必ずしも良策ではないんじゃないかと思った。

 

心の声をビジュアルで表す

『ハナとヒナは放課後』を相変わらず座右の書としていて、最終巻である3巻もすでに手に入れて以来10回くらいは読んでいる(事実)。ハナヒナ3巻では、ふたりがお互いの恋心を確かめる重要なシーンでやはりモノローグが多用されることに気付く。

ただの少女マンガの文法じゃねえかといえばそれまでだが、「ハナヒナ」は一般誌連載だったし、もちろん男性読者も多いと思うので、少女マンガとしてというよりも一般マンガ作品として扱いたい。

(※以下3巻ネタバレあり) 

ハナとヒナは放課後(3) (アクションコミックス(月刊アクション))

ハナとヒナは放課後(3) (アクションコミックス(月刊アクション))

 

 

関係ないけど、1/12に発売になっているマンガのサイン本販売が2/4に抽選販売とはこれいかに。サイン本ほしいのはファンだろうけど、露骨な複数冊買い推奨はミルキストとしてちょっと複雑である。

 

森永みるく氏といえば、栄枯盛衰の激しいマンガ世界のなかでも安定して活躍していて、それなりにベテランの域に入りつつある作家であると認識しているが、モノローグのことば選びなどは正直あんまり上手とは思えない。その「マンガ力*1」の高さからするとやや残念なところである。

 

3巻でははっきりと、ここはモノローグ(心のなかをセリフで表す)自体が蛇足だなあと思うところがあるし、それがないほうがむしろより切実に心情が伝わったよなあと思われる箇所が複数あった。

 

もちろん必要な(あったほうがよい)モノローグもあるので、取捨選択の問題ではある。ただ、マンガのなかのモノローグの効果的な利用を考えるに、それがなくても成立するならばないほうがいいんじゃないかと思うのである。

 

もしぼくが担当編集なら、そのマンガ先生がとくにことばに対して思い入れがあるとかそういうことでなければ(羽海野チカ氏はどう考えても<ことば>に強い思い入れがある)、そのモノローグが必要かどうか、あったほうがよいか、ないほうがよいかの判断は、まずネーム時点で「ない」ところから判断をスタートしたい。心のなかが画で十分伝わるようなら、そのモノローグは必要ないということだ。

 

「ハナヒナ」のモノローグ例

3巻第14話で、ヒナコに対して特別な感情を抱いていることに自ら気づいてしまったハナが「会うと苦しいでも会いたい」と思い悩む。そんななか、ようやくヒナコに出会えて心が高ぶるハナの表情を正面から捉えたバストアップに添えられるモノローグ。

 「会うたび 泣きたくなるよ」

 

ここの画では、すでに赤面してハナの泣きそうな顔にクロースアップしているので、モノローグが心情を補完している格好だ。

仮にこのモノローグがなかったらどうなるか。その部分を指で隠してみればわかるが、このシーンはまあそれでも成立しそうだ。ハナが何を感じているのかは表情に現れているので、話しの流れからも、少なくとも意味がわからないということはない。

「泣きたくなるよ」とことばでいわれれば、なるほどそうかとも思う。だが、もしここでモノローグが省かれていたとしたら、ハナの「心の声」はことばで説明したときよりももっと伝わった可能性もある。読者の目線はハナの表情に集中しただろう。あるいはみるく先生はもっともっと泣きそうな顔に描いたかもしれない。そっちのほうがマンガとしてあるべき姿に近かったんじゃないだろうか。

 

「ハナヒナ」3巻の非常に大事なシーンで出てくるモノローグの無粋なところをいくつか指摘しようと思ったけど、やめておこう。既読のファンの方は抱擁シーンやベッドシーンでモノローグを指で隠して読んでみてほしい。これはなくてもいいなと思う箇所がいくつか見つかるはずだ。

 

といいながらラストシーンだけ。最終ページ、罫線で囲まれたモノローグ、

 多分 これからも

 何度も 何度も

に続き、お店のカウンター越しにキスするふたりにかぶさるハナのモノローグ、

 きっと私

 あなたに恋をする

これで完結という美しいシーン。いや美しいよ。尊い。

 

でもこの最後の2行にちょっとした蛇足を感じた。感情としては自明だから。これがないほうがたぶんラストぽく余韻を残して終われたんじゃないか。

 

 何度も 何度も …… (劇終)

 

「キスをする」かもしれないし、もっといいことかもしれない。そうじゃないかもしれない。想像が膨らむよね! それを人は余韻と呼ぶ。"over and over again" なんか物語の最後にふさわしい。指で隠してみよう。

  

以上。

 

この件は、つまり邦画や国産ドラマなどに見られがちな、要するに「説明しすぎ問題」でもあるので、別の機会にまた書いてみたい。

 

*1:画力や起承転結を始めとした物語づくりの定石など、小手先のテクニックを超えて魅力的なマンガを作れる能力