ダイスン

Arsenalとその他もろもろ

なぜおれは『リゼロ』にこうもイライラさせられたのか

※長文です。

 

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「この話しおもしろかった?」

 

『Re:ゼロから始める異世界生活』が終わった。ストーリーに集中していたとはいえないが、なんだかんだで終りまで観てしまった。文句いいながらどうして最後まで観たのか。

 

re-zero-anime.jp

 

傲慢な主人公とそれに同化する作者

最終話の第25話、主人公スバルがヒロインのエミリアに膝枕をされて愛を語るラストシーンは、はっきり鳥肌がたった。スバルのあまりの寒々しさに。ずっと激寒だったが最後が一番だった。せめて目が覚めた時点で、あるいは真剣に語り始める時点で膝枕から離れてくれればイライラも20%ぐらいは減っただろうに。このクソ野郎早くエミリアから離れろと何度も念じた。このシーンなんと25話の1/3ほどもあるのである。

 

野っ原で1時間も2時間も正座で足に頭を乗せてやっていたという彼女の好意や忍耐にまったく慮ることもなく、目覚めたあともそれを当然のものとして受け入れる男の甘えと無神経さ。

しかもこのシーンでは、エミリアに自分の欠点をあまさず語らせ卑下させておいて、そんな彼女に対してスバルが寛容さを見せるという度肝を抜く展開。こんな胸糞悪いラストのアニメをほかに思い出すことができない。

 

ド頭からラストまで、おはようからおやすみまで、徹頭徹尾うすら寒く、片時も共感させられなかったこの主人公にはいいたいことが山ほどあるが、とりあえず主人公のキャラクターはこのラストシーンに集約されていたように思う。

傲慢で思い上がりも甚だしくてヒーローになった自分に酔っている甘えた男。他者に無頓着で世界で一番苦しんでいるのは自分だという奢り。成功した自分がエミリアに愛されていることを信じて疑わないという恐ろしいくらいのナルシシズム。それでいて、ときおりジョークを交えた軽妙な口調で、ヒーローになった今も自分は昔の自分と変わらないよという「バランス感覚」を持ってるアピール……。

 

やはりこの作品でなにに一番イライラさせられたかといえば、終始一貫したこの主人公の態度なのだ。「冴えないニートが異世界で活躍」というだけならこれほどまでに不快じゃなかったと思う。

だけど、この主人公は本当に不愉快だ。自分勝手でかっこつけで自信家であげくは被害者気取り。よく考えたら彼はそもそも誰からも何も頼まれてないよね。おれがみんなを助けるんだと甘っちょろいヒロイズムをかざして自分から世界に問題を持ち込んでおいて、うまくいかなければ絶望したとわめき散らす。目を背けたくなるような自己愛の強さ。

だいたいコミュニケーション能力はマックスなのに、元は冴えないニートでしたなんて信じられるか。このいけ好かない嘘つきのペテン野郎! 

 

また、この作者自身がつくりあげた、そんな主人公に加担するかのようなご都合主義全開のストーリーや演出。この主人公に世界で誰より感情移入できたのはたぶん作者自身なんじゃないか。作者が主人公へ感情移入し思い入れれば入れるほど、視聴者が置いてけぼり。これが物語の作者がキャラクターと一緒に熱くなってしまった結果なのか。

主人公が傲慢だろうが自己愛が強かろうが、そういう人間というのは現実にも存在するし、お話のなかにいたところでべつに問題はない。なんなら主人公だって構わない。だが、そういった性格の人間を正統ヒーロー扱いし、成長させず、まったく以前と変わるところがないのに、結果的に都合よく誰からも愛され認められ受け入れられるようなストーリーは、この規模のアニメ作品として成立しているんだろうか。

 

「主人公のウザさは作者が故意に作り出したものだから、あなたがそう思ったなら作者の思う壺だ」という意見をみたことがある。だがもし作者がこの主人公の傲慢さと薄ら寒いキャラクター設定に自覚的であって、彼を物語のなかで俯瞰的に見ていたならば、きっとこのような展開にはなっていなかったんじゃないか。

 

問題の第25話ラストシーン

この25話ラスト、ヒロインのエミリアが主人公をすんなり受け入れ全肯定するこのラストシーンは、ほんとうにほんとうに興ざめした。エミリアはスバルのお母さんなのか? 一体何時代の女なんだ。女性はこのラストシーンは受け入れられたんだろうか?

 

もし作者がこの主人公に対してほんのすこしでも冷静で批評的な観方をすることができていたというならば、このラストシーンでエミリアに取らせるべき態度はこいつを全肯定することではなく、自分を救うためにがんばったスバルを尊敬してはいるが、恋愛はまた別の問題として、スバルの愛の告白を受け入れないことだったんじゃないか。

エミリアは空気を読まず「それとこれはべつ」といって笑いながらはぐらかす。レムが何でも無条件に男を受け入れるお母さん的立場のキャラクターならばなおのこと、エミリアにはエセの感動に飲み込まれない存在(他者)でいてほしかった。

予想外の展開に「あちゃーエミリアたんに振られちゃったよ~(涙)」と表面ではおどけながらもお互いの信頼と絆を強固なものだと思っている。口に出さずともお互いがお互いを離れがたい存在として理解している。時が経てばいずれそういう関係になることもあるかもしれない。それでいいじゃないか。おどけた態度はこういう部分で使うからこそ効果的で、余韻を生む。

 

そんな展開だったらその後もふたりの恋愛関係という物語の軸はテンションを保てるし、シーズン2への期待もより高まったろう。

 

それをエミリアがすんなり受け入れてしまったものだから、このウザったらしい自己中心的な主人公の存在がそのまま許されるという、とても偏った物語になってしまったし、なんとなくハッピーエンド感のあるかわりにものすごく浅い薄っぺらな結末になってしまった。なんというセンスのなさ。

 

というか、これレムはどうするつもりなんだ?

 

レムはおまえの母ちゃんなのか

結局レムは最終話に登場することはなかった。シーズン2も当然あるんだろうし、何も最終話だからといって、シーズン1のラストに辻褄合わせのための要素を詰め込みすぎる必要もないとは思う。些末な要素をばっさり切って、思いきりエミリアとスバルのふたりだけの時間にフォーカスした。それはこのアニメのなかで数少ないいい演出だったと思う。

でも、レムとスバルが涙を流しながら永遠の愛情と信頼を誓い合う姿をあれほど描いておいて、一方ではレムがこの世にいなかったのようにエミリアに愛の告白をするスバルという男をわれわれはどう受け止めたらいいのだ?

 

レムはスバルにとって何なんだろうか。エミリアが本命であるなら、レムは愛人なのか? それともどんな自分であろうと無条件に愛してくれる家族みたいな存在?

 

スバルにとって都合がいいのは、高貴で美しいエミリアという最愛の人とめでたく結ばれ、世界を救った素晴らしい名士として誰からも尊敬され、何一つ不自由のない貴族的な生活をいつまでも続ける。そしてレムというハーレム要員でも二号でも何でもいいからと、自分を崇拝してやまない、自由にセックスもさせてくれたうえに、決して束縛しないパートナーがいつもそばにいる。自分は好き勝手に女を選べるが、もちろん相手にはそうさせるつもりはない。ずいぶんと身勝手な男である。

 

こいつがハーレム王になりたかろうがそれはどうでもいい。でも大事なことは、レムは絶対そんなこと望んでいないということだ。

レムはスバルとふたりだけで幸せになりたいのだ。エミリアよりも自分を大事に思ってほしいのだ。命をかけてともに戦った仲間であり、自分を守り続けると誓ってくれた、この世で一番好きな男にとって自分が二番手でいいなんてことを彼女が思うはずがない。

母親のような寛容さで何でも許すからといって、ありのまま100%受け入れられるわけじゃないし、仮にスバルの浮気を許したとしてもそれが彼女の本心とは限らないのだ。世話になったお礼に見返りなく生涯をかけて尽くすとでも? レムだけじゃなく、もちろんエミリアだってそんな状況がうれしいはずがない。

 

一番大事だ、一番愛してると口ではうまいこといいながら、相手の気持ちにまるで気付かない無神経さ。傲慢さ。にじみ出る他者への無頓着ぶり。結局こいつは自分しか見ていない。

 

セックスはするくせに、こいつはすべての女を自分の母親のように見ているふしがある。母ちゃんは自分の一部だが、その他のすべての女は自分とは違う<他者>なのだ。他者を他者として、それでも受け入れるのが愛じゃないのか。スバルは明らかに女たちを誤解しているが、また作者自身も女というものを誤解していると思う。

 

スバルはレムの気持ちを無視しているのだから、ずっと守るだなんだと庇護者ぶって偉そうなことをいっても、その口ぶりや様子以上に真剣だとは思えない。軽薄なナンパ男がセックスしたさに一所懸命に口説いているよう見える。すべてが嘘くさい。

そして、なにより腹立たしいのは、そんなやっすい男にかんたんに騙されるレムが、その結果として「やっすい女」になってしまうことなのだ。第18話に感動して泣いただって? 冗談じゃない。こっちはレムの扱いがあまりにもかわいそうで泣けてくる。 

 

「苦悩」が「困難」を上回るという愚

愛するものを救うために何度も死に戻りする。何の強さも才能もなくても、とにかく必死にがんばればこそわれわれはそこに自分を重ねられるし、感動も共感もできる。がんばるたびに強くしぶとくなっていき、絶望し苦しむたびにそれを乗り越えようとしてまた傷つき、失っていったなら。犠牲という代償を払うことでそのかわりに得るものだから、大事なものがもっと大事に感じられる。

 

どんな現実離れしたファンタジー世界が舞台であれ、物語のなかで人が難しい問題にもがきあがいているさまが描かれるからこそ、視聴者は登場人物に心を寄せられるのであって、それを乗り越えてほしいと願うし、達成したときには感動を分かち合えたような気にもなれる。

 

『リゼロ』はスバルの成長譚だ。主人公が障害を乗り越えて成長していくことで願いが成就される。明らかにそういった構成の物語だ。

ところが、乗り越えるべき壁がことごとく薄い。敵が弱いとか、人間関係の軋轢がないとか、この話しではとくに主人公が実質不死身の存在であるため「死」すら軽いからだろう、立ち向かうべき問題の何もかもがスバルが苦悩している姿ほど困難に見えない。苦悩のほうが実際の問題より上回っているなんて、なんて滑稽なんだろう。

瀕死の重傷でも何でもないように強がってみせるのが大人だとすれば、主人公はいつまでたってもかすり傷で騒ぎたてるだけの子どもで、そこから一向に成長した感じがしない。

成長譚であるにも関わらず、主人公が成長する様子が描かれない。むしろ主人公の調子はまるで変わらないことが美徳とでも思っているかのようだ。もしかして作者は「成長ストーリー」はカッコ悪いものだと思っているんじゃないだろうか。

 

チーターがチートで解決できない問題に直面するときドラマが生まれる

チート能力者が出てくる物語なんてものは元来そういうものであるのかもしれない。けど、だいたいチート能力者が出て来るストーリーの醍醐味というものは、本来はチートで万能イエーイじゃなくて、有頂天になったそいつが直面するチートが効かない問題(現実にもありうる問題)に出会ったとき、それにどう向き合うかにあるんじゃないのか?

特別な者だけが持つんじゃない、心の強さだとか勇気といった「誰もが平等に持ちうる気持ち」が試されたとき、視聴者は彼の問題を自分の問題として捉えることができる。つまり共感ができる。

 

この主人公が感じるストレスといえば、死に戻りの瞬間(の痛み)とそれを口外できないことと問題に直面したとき(だいたいすぐに解決するのでごく短い期間)だけで、このアニメには、視聴者とキャラクターが一緒になって苦しむような真の葛藤というものがない。

 

そういった意味で、愛するがゆえにループから抜け出せないといった絶望や、誰かを救うには誰かを犠牲にしなければならないなど、ループもの、タイムリープものだからこそ生まれるパラドックスや葛藤はこの物語にはない。問題はいつも自分のことだけ。

 

死に戻りが誰にもいえない秘密なのはいいとして、そのペナルティが自分が死ぬじゃなくて、エミリアやレムが死ぬとか苦しむっていう設定だったら。愛する人を守ろうとすればするほど苦しむというテーマをもっと補強できたんだと思う。それがチートで解決できない問題であり、特殊な能力者であるがゆえの苦しみ。

 

ストレスフリーの物語の弱さ

この話しは結局「なるべくストレスのないストーリーが好まれる」という「ラノベ」の本質的な話しに行き着きそうにも思う。

だが、起伏のない平坦な道をいくら進んだところで、平坦な道がそこにあるだけで、坂道を下る爽快感を得ることはできない。そこにあるストレスや葛藤が少なければ少ないほど、感動やカタルシスも薄くなっていく。

 

アニメやラノベがストレスフリーだろうがカタルシスがなかろうがべつにいいのだ。最近の似たようなカテゴリの作品でいえば、『この素晴らしい世界に祝福を!』や『灰と幻想のグリムガル』をすごく好きだという人がいたって驚きはない。

 

ただ『リゼロ』でいえば、明らかにこの作品は、感動やカタルシスを演出したい作品だった。強敵とのバトルはもちろん、ヒロインとのすれ違い、スバルが激情を撒き散らすエピソードもあったり、主人公が苦しみつつ困難を乗り越え成長していくことがテーマで、巨大なストレスからの解放は必須だったはず。

ところがこの作品が選んだことといえば、スバルが「変わる」ことではなく、以前から変わらぬ自分のままで、何をやってもどこへいっても結局都合よく成功し認められ好かれるということ。さも主人公が苦悩してますといった場面も白々しく感じることが多く、視聴者に与える効果としては演出意図とは逆の結果になったと思う。

  

結末について

このアニメにふさわしい結末があるとしたら、それは夢オチしかない。第26話でもいい。

壮大な自己愛の夢からやっと目覚めて、ニートである現実を見つめる。そこで、現実の自分に初めて向きあうことになる。そして社会に出るがなかなかうまくいかない。でもくじけない。なぜならもう彼は人の愛や信頼を得て自信を得たから。すでに以前の彼ではない。チートが効かない現実社会で一歩づつ、コツコツと暮らし始める。文字通り霧散したが夢の世界でヒーローになった経験は決して無駄じゃなかった。そしてラストは深夜のコンビニに行くとレジにレムのそっくりさんがいる。逡巡したあとに思い切って話しかける。彼は変わったのだ。

それでやっと視聴者は納得できた。クソチート野郎も人間として成長したんだなと。

 

なぜ『リゼロ』は人気なのか

溜まっていたヘイトを放出してしまったが、一方で『リゼロ』は大変に人気の高い作品だということも知っている。アンチも多いが、実際にこのお話が大好きで感動するファンもいるという。このエントリを書こうとおもったきっかけも、先日ホッテントリに入っていた賞賛エントリを見たからでもある。

 

今日さらにほとんど同じ要旨のエントリが上がっていて、この人よっぽど好きなんだな。

www.taiyaki-oyako.com

 

飽きないストーリー、泣ける展開、神曲と120%の絶賛で、同じ作品を観てもこうも印象が違うものかと逆に感心した。メチャクチャはまっているそうである。残念ながらレムやエミリアがかわいいという感想以外で共感できる部分はなかった。

 

ぶっちゃけどちらも「大好き」以外のことはいっていないエントリなので、これを読んで観方が変わるとかそういったことは一切ない。

 

ほかにもいくつか賞賛エントリを見たけど、だいたい「すごい面白い」と「かわいい」くらいしかいっていない。どうおもしろいと思っているのかが知りたいのだけれど。

 

外人もかなりこの作品が好きらしい。Sankaku Complexでは大量のキャプチャとともに"Anime of The Year"というエントリまであげている。まあコメント欄は「あり得ない」みたいなアンチが多くて安心するわけだが。

www.sankakucomplex.com

 

ただ、外人はこの作品が好き、で思うのは彼らには主人公のウザさが伝わってないだけなんじゃないかという気がしている。日本人オタクが同族嫌悪してしまう、口調や態度といった雰囲気のディテールが伝わっていないんだろう。

 

なぜ『リゼロ』は不人気なのか

これは今日の増田が参考になった。

以下引用

・オチにたどり着いてない
・主人公が不快
・主人公の顔がキモい
・リセットリロードが余りにゲーム的
・主人公が頑張ってるのを応援したくならない
・主人公がどんな酷い目にあっても何の感情もわかない
・デメリットであったはずの魔女の匂いがただの便利アイテムに
・それどころか死に戻りによるダメージですら最後は便利アイテムに
・ピンチに対しての解放がひたすら主人公に都合が良すぎる
・そして主人公が招くピンチの原因が主人公の性格の悪さに起因しすぎる
・正直主人公死んで欲しい
・主人公が死ぬ気配がまったくないから緊張感がない
・サブキャラ死んでもリセットできるからまさに緊迫感がない
・とにかく主人公の性格が不快

 

ながら見をしたりと全エピソードをしっかり観ていたわけではないからか、オチがないとか、わからないこともあるけど、ほとんど賛成。

これまでにもネット上でアンチの意見は何度か目にしていたが、この作品の不人気の理由は「主人公の不人気」が大きい。アニメだけでなく原作ですでにウザいらしい。

 

この増田の人気コメントから。

 

「感情移入は七難隠す」とかいう真理。粗が無限に気になるのは感情移入できないからで逆ではない。

 

 なるほど。

 

主人公ニートの割に社会適応力が高すぎる

 

これはそう思った。

 

ニートの行動力じゃないし発言や調整力などスーパーすぎる。チートじゃなくてもともとの能力が高いとか、完全に作劇を間違えていると思う。最初からすごい人が活躍したっておもしろくない。最初はすごくない人が活躍するのが痛快なんであって。

いちいちカッコつけた口調で話すんじゃなくて、最初は大勢の前でうまくしゃべれないとか、始めはなかなか動き出せずに悶々とするとか、そういった細かい部分を少しでも描いてあげたら納得できたかもしれないのに。成長を描けと何度いえば。

 

主人公の転生前の職業をヒッキーではなくヤンキーにするだけで言動の説得力が10倍になったものを…。

 

元ヤンキーが主人公じゃ作者が感情移入できなかったんだろう。

 

せっかくのループものなのに、ループしたら失ってしまう出会いとか交えないと、ループが安心材料になっちゃうよね。

 

そのとおり。この話しで主人公はなんにも失わないから、得たものすべてが薄っぺらく見える。

 

主人公キモすぎて途中で切ったけど、ここまで文句言いながら最後まで見れるんだから十分楽しんだだろw

 

おれがこうして8,000文字以上書くまで、どうしてこの作品に執着できたかといえば、それはつまりストーリーメイキングの「反面教師」として非常に参考になったからなのだ。そういう意味ではとても楽しめた。

逆に、中途半端に物語に整合性や説得力があったりしたら、こんなに情熱をもって向かい合うこともなかっただろう。

 

最後におれはこの作品で不愉快な気分になり腹を立てていたが、100%のアンチではない。少なくともエミリア、レム、パックはかわいい。とくにパックのかわいさはエポックメイキングでなかったろうか。

 

 

 (※以下2017/6/14追記)

PS

いまだにこのエントリをたくさんの人に読んでもらっているっぽくて恐縮です。同意できたりそうじゃなかったりするとは思いますが、この長文をがんばってここまで読んでくれたかた、もしよければコメントを残してもらえませんか。コメントをもらえると単にうれしいというのもありますが、ぼくはリゼロという超人気大作が実際はどう思われているのかいろいろな意見や考えを知りたいです。このエントリに対する反論も歓迎します。

 

 

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