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ダイスン

Arsenalとその他もろもろ

大声を出して問題を解決するアニメは駄作

アニメ

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『Re:ゼロから始める異世界生活』のアニメ第21話を見ていて思ったのだけど、闘っているときに大声を出して事態を好転させるみたいな演出をするアニメはだいたい駄作といっていい気がする。

 

大声で問題を解決する

大声バトル系のストーリーでは、彼らはバトルのときにもべつに解決策とかを持っているわけではなくて、単に大声を出すことで気合を入れて、またまわりがそれに触発・鼓舞されて、みるみる力を発揮し敵を倒していく。そのような何かが変わるきっかけとなるシーンではBGMやSE、絵的な面でもそれがそれっぽくサポートされるので、まるで流れが変わったかのような印象を観るものに与えるが、実際は大声を出しているだけなので錯覚である。

誰かがつくった作り話であるとはいえ、このような「見せ場」のある物語は、物語としてはいかにも子どもじみていないだろうか。ふつうに考えて大声を出したり気合を入れたり、味方を鼓舞するだけで形勢が逆転したり事態が好転するというのは、最大の敵を前にした展開としては安易すぎる。事実はもっと複雑だしもっと残酷だ。相手が圧倒的強者ならなおさら。雰囲気がそれっぽい流れにされているだけ主人公がやれると思い込むだけでは事態は変わらないというほうが現実味がある。舞台や小道具の設定はいくら現実離れしていようが受け入れられるかもしれないが、心情を描いたドラマ部分については、どんな異世界であっても読者が感情移入できるリアリティが必要だ。

だからこれは、すごく安直で安っぽい演出だと思う。脚本や作劇といったものに興味を持ちドラマの演出方法を考えるようになって以来、こういった問題だけに限らず、映画やドラマ、アニメなどを観るときとくに感情的なBGMには注意しているが、その世界に本来存在していないはずのBGMなどの演出効果が、ストーリーそのものに影響を及ぼしているように見えたら危険な兆候だと思う。演出効果というものはイメージの補助に留めるべきであって、決してそれそのものが登場人物の動きに影響を与えるべきではない。結果には必ず原因がある。演出効果は原因ではない。それを無視して雰囲気だけでゴリ押しするような物語には説得力がない。

 

白鯨弱すぎ問題

Amazonプライムで見られる劇場版の『弱虫ペダル』を観たときにそれについて強く感じて、今回Re:ゼロから始める異世界生活』で白鯨と闘うシーンが典型的なそのパターンだなと思った。約2話分にもわたって白鯨との闘いが繰り広げられ勝利を収めるが、結局、圧倒的なパワーに対抗できた理由がないから戦闘が終わったあとも、なぜ人間たちが白鯨に勝つことができたのかが理解できずモヤモヤしたものが残る。怒れる神にも等しい白鯨は、どうしてミジンコみたいな有象無象にやられてしまったのだろう。それともはじめからせいぜいその程度の強さだったんだろうか。

 

シン・ゴジラ』を観たあとだったから、白鯨はゴジラみたいなものだと、なんとなしに重ねあわせて観ていたので、がんばれば勝てる相手だったとはいささか拍子抜けした(そういえば、大木の下敷きにするシーンはゴジラでも観た。タイミング的に偶然だろうが)。当初とてもそんな程度の敵には見えなかったのだが。

そうじゃなくて、スバルか剣客のおじさんかの捨て身が功を奏して奇跡的に勝てた、という話なら納得できたかもしれないのに、戦闘が終わってみればふたりともピンピンしているじゃないか。もちろん死傷者多数なんだろうが多大な犠牲を払ったようにも見えなかった。あるいは、大木の下敷きにするという「大作戦」にフォーカスしていたら、人類の知恵ある工夫の勝利ということで納得はできただろう。

原作は未読でわからないが、このような多くの犠牲者がいるシーンで脳天気に勝利を祝うような余裕を描くこと自体、作品の底の浅さが知れる。

白鯨が弱い分だけそれに打ち勝ったというカタルシスも減ずる。いずれにせよ筋の悪い脚本ではないだろうか。

 

『劇場版 弱虫ペダル』大声問題

劇場版 弱虫ペダル

劇場版 弱虫ペダル

 

 

『劇場版 弱虫ペダル』が笑えるのが、本当に各チームで大声の応酬しかしていないというところだ。必殺技の名前を叫ぶみたいに大声を出した選手が一時的に強くなる。大声を出したほうが勝つんだからそりゃ一所懸命出すだろう。そして最後に大声を出したものが勝つ。もはや自転車競技というよりは大声バトルである。自転車競技を観に来た観客はさぞかしつまらないだろう。

 

ただスポーツ根性系は多少同情の余地はあると思えるのは、『弱虫ペダル』や『ハイキュー!!』のような試合そのものを描くことがメインの作品では、どうしてもある部分では選手の熱意や気合といったロジックを超えた要素が勝負に入ってこないと、単にロジックだけでは番狂わせを起こすような感動ストーリーは成り立たないからだ。しかし『劇場版 弱虫ペダル』のように、技術的な裏付けや力の根拠がなくそればかりというのでは、現代のアニメとしてさすがに工夫がなさすぎる。

そもそも『弱虫ペダル』は主人公の坂道をほとんどチートの天才という設定で物語を始めてしまったがために、最初の大会で優勝という物語のピークがきてしまい、そのあとのストーリー・メイキングに非常に苦労している印象がある。だらだら続けずに潔く終わっておくべきだったかもしれない。

 

しかし、Re:ゼロ』のような熱血主人公が出てくる作品でストーリーまで熱血というのは残念なことだ。もちろん悪い意味で。

 

やっぱり『Re:ゼロから始める異世界生活』はあんまり褒められない

Re:ゼロ』は今季のアニメのなかではかなり人気があるようだけれど、個人的にはいろんな意味でまったく評価していない。エミリアやレムなど女子キャラがかわいいのでなんとなく観ているだけだ。

スバルの描かれ方(ジャージに象徴される自分の本分は捨てず過去の自分を誰も知らない異世界でヒーローになって美少女にモテモテ)がオタクの理想的自画像といった趣でとてもイライラさせられるし、死に戻りが悟られると死ぬみたいな設定も、単にチート能力の言い訳に見える。まるで、貧困家庭はとことん貧困じゃないと許さないみたいな人たちに向けての言い訳みたいだ。

それと井口裕香の声が役にまったく合っていないのが毎度気になってしょうがない。井口裕香はたまに低い声で男性役をやるみたいだけど、良さがさっぱりわからない。やっぱり少女役でこそ生きる声優だろうと思う。

考えていたらますますイライラしてきた。『オーバーロード』でも観て心を落ち着かせるとしよう。

 

↓この顔かわいい。

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